やぎがゆく

「やぎ」が見た場所や食べたもの経験したことを書いています

日本国道路元標が見たい

気がつくとすっかり道路好きになってしまっていることに気がついた

 

ここまで好きになってくると

ぼんやりとした知識である

「全ての国道の起点になった場所が見たい!」

と思うようになってきた

 

とりあえずそんなぼんやりとした知識のみで元標を見に行ってきた

どんな物なのか、行ってみられる物なのか、

なんの下調べもなく電車に乗って日本橋で降りてみた

 

駅から5分も歩かずにお目当てのものが目に飛び込んできた

 

「道路元標地点」

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首都高を分断するように鎮座する

オブジェと元標の文字、これだけでも胸が高鳴ります

この日はとても良い青空で、オブジェがとても際立っていたような印象です

 

さてその元標は一体どこに…

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なんと片側2車線の日本橋のど真ん中に小さく見える、アレがまさに元標のよう

日中は交通量も多くとても見に行ける環境では無い事が発覚

 

それならば交通量の少ない深夜帯に…と思ったのですが

残念ながらそれも難しいよう

 

この道路は「横断禁止」の規制がされている事に気がついた

コレはショック

 

じっくり「元標」を眺められないのか

そう落胆しながら周りをうろついていると

何やら良さげなものが橋の先に見えてきた

 

「元標の広場」

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さすがに道路のど真ん中のみではなく

ちゃんとみられるところがあるようで一安心

 

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「複製」の文字はあるものの

じっくり落ち着いて見られるのは

かなりありがたい

 

広場には他にも気になる物が

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元標についての説明もあり

江戸幕府によって5街道の起点とされた事

日本橋の説明等が描かれていた

 

そしてもう一つ

 

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主な都市までの距離が示された石碑

道路の偉大さと繋がっているんだなという気持ちが

なんとなく石碑を見て溢れ出てきた

 

 

 

 

後日元標について調べてみる

 

道路元標の前身となったのが

里程元標(最後に写真で紹介したモノ)だったこと

 

明治時代初期のものと大正時代のもの

の2種類が存在すること

 

がわかった

 

そして現在、道路元標に法的設置基準

管理組織の法的根拠は存在しないこともわかった

 

 

そして日本橋以外にもシンボルとして各地残っていることがわかった

が、道路元標を管轄する組織の法的根拠、設置義務は存在しないため

大正時代に設置された道路元標は年々数を減らしているということだそう

 

貴重な財産だと思うがどうにか保存していく方法はないのだろうか